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年賀状の必要性を再認識

年賀状を出すことが少なくなってきました。
スマホで簡単に文章が一斉に送れたり、印刷してポストに投函する作業がめんどうですよね。
みんなが出来る訳ではないので、年賀状はやはりなくならないでしょう。

そんなある日のこと。父親からの電話。
「年賀状を頼みたい」との、内容でした。
父親は7年前にアルツハイマー型認知症の診断を受けました。
海馬という部分が収縮しはじめています。
遠い昔のことは、鮮明に覚えているのですが、たった今言ったことが記憶できない状況です。
一日中同じことを繰り返し聞き、母親も相当のストレスを感じています。

そんな状態の父親が、ふと気になったのでしょう。
貧乏大学生だった頃にご飯を何度も食べさせてくれた友達に年賀状を
出してくれと電話して来たのでビックリしました。

大学を卒業してからも、何回かご夫婦で鹿児島に遊びにきてくれたこともある方で、
本人(マリさん)は薬剤師、ご主人(徳さん)は外国船の船長さんでした。

6年前から年賀状のやり取りを再会し、お互いの安否を確認していました。

今までの通りに、今年も年賀状を出しました。
達筆な筆文字できれいな年賀状をいただいていましたが来ていなかったのです。

あまり気にしていませんでしたが、4月上旬、一枚のはがきがとどきました。

知らない方からのはがきでしたが、ご主人(徳さん)の妹さんからでした。

内容は、マリさんは4月に他界されていたのです。

徳さんも、認知症が進み施設に入所しています。という内容でした。

子供がいなかったので、妹さんが知らせてくれたのでした。

母は、涙があふれてしまった。

私はあまりにもリアルだったので父親と重なってしまいました。

父親に知らせるか否かで相当迷いました。昔のことを口にしては、
最近よく泣くようになっていたからです。

ご飯が食べられない時期におなかいっぱい食べさせてもらったらしく、

大変感謝していた、いつも気にしていた方だった。

とうとう、言いだせないままなのです。

妹さんからのハガキを読んだとき、年賀状の有り難さを痛感しました。

いくらメールが便利だけど、高齢者には使えないので昔からの文化である

年賀状・暑中見舞いが必要だと。

人とのつながりがこんなに大切なんだと、ジーンときました。

昔からの文化を大切にしましょう。







加齢による体調不良

最近、パートナーの様子がおかしいなぁと。
病院に行くのは、歯医者さんぐらい。  仕事もスポーツもパワフルにこなしていました。
地区の駅伝にも参加したり。
ところが、最近では「睡眠が十分にとれなくなった」と。
睡眠不足は、辛いですよね。
巷では、年齢を重ねると睡眠障害がでると聞きます。
ひとつには、男性にありがちな五十肩。
箸も握れなくなります。本当に。
「スポーツしていた俺が[exclamation]?まさか?」
ショックは隠せない様子でした。
寝ているときに寝変えりをすると、肩に電気が走るような激痛がするそうです。
いたたまれない気持ちになりました。
でも、五十肩は時間が経過するに従い痛みも和らぎました。
三年半くらいかかりました。最近は、快適に眠れているように思っていました。
が、次なる症状が。
夜間の頻尿に悩まされていました。
やはり、男性でも泌尿器科を受診するのは嫌だったらしいのです。
密かにドラッグストアーで薬を買い飲んでいたようです。
しかし悩んだ末に、受診しました。
50歳を過ぎると、殆どの男性が悩まされる前立腺肥大だったのです。
エコーで内部を検査
排尿のスピードを検査
をしていただき、先生から詳しい現状の説明を受けました。
まだ、初期のようで一週間分の薬をいただきました。
今、薬の服用2日目です。
今迄、不安を抱えて頭の中はマイナス思考でしたが、思いきって診察を受けて、今はグッスリ眠っています。
薬の効果が初日から現れているようで、まずは安心しています。
今日も会社から帰ってきてすぐに
「こんな事なら早く行けばよかった?。」と、笑顔いっぱいでした。
私もうれしいかったですよ。笑顔が。
大切なパートナーだから、気を抜かずちょっとした変化を見逃す事の無いように、見守ります。
年齢に負けない体作りに努めましょう。

子供の貧困

通勤途中のラジオから、子供の貧困。私には強烈に響いた。刹那かった。
親はなにしてるの?

現実が掴めていなかった。

挙句の果てに虐待。

子供に罪はないはず。

私は、恵まれていた事に気づかされた。

両親共に仲がよかったので、離婚なんて?

先ずは、親として子供を守る事を一番に考えて欲しいです。

教育を受けさせる。食事を与える。など、あたりまの事をやって欲しい。

いろんな事情があり離婚に至ったかもしれませんが、子供に辛い思いをさせないでください。

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私の役割

今直面している事を書き留めておく事により、次に必ずやってくることに早めに対処しなければならないので、思いついたときに随時追加します。

毎日つけている訳ではないのですが、忘れちゃいけない事をノートに書いています。

誰もが経験すると思いますが親の介護です。 うちは父親が認知症と診断を受けました。

ここまで育ててもらった恩返しをしないといけません。弟は転勤で近くにいないのですが、月に一度は帰省して病院や散髪に連れて行ってくれています。

発症に気づいて病院に行ってから4年が経ちます。

「父親の様子がおかしい」と電話があり、年齢からくる物忘れにしてはひどい事に気付き、専門医を受診しました。

色々なテストがあり、脳の中を通る血液の流れを専用の機械で検査して、アルツハイマー型認知症と診断されました。

ショックでした。母も泣きました。

父親は、脳梗塞と狭心症を煩い仕事ができなかったため母親が働いてくれていました。

仕事場には父親が車で送り迎えをずっとしてくれていたのです。

ホテルの厨房で調理補助をしていました。一生懸命働き生活費を稼いできました。

夜の迎えの時間が10時頃。だんだん難しくなり私が毎日迎えに行く事になりました。

ある日、仕事に送った後、帰り道がわからなくなり2時間ぐらいさまよっていた事があり家族で話し合いをしました。

その夜母は眠れなかったそうです。一晩考えて仕事を辞める決意をしたとのことでした。

もともと二人の年金で暮らせる位の支給はされていたらしく、母は、「これから何があるか分からないので、働けるうちは働きたい」「ちょっとした贅沢もしたいし」とも言っていました。

外見的には普通なんです。海馬というところが壊れてしまっているので、新しい事が記憶として残らないらしいのです。

同じ事を何度も何度も聞かれてイライラすることも頻繁にありました。

母は、サークル仲間に親の介護を経験された方がいらして、アドヴァイスをもらったら気持ちがらくになり、父親に対し優しく接することができるようになったそうです。

今私にできる事をできるだけやらなければならないのです。

夫婦仲の良い両親。いつもお互いを思いやり、お互いを必要としている。

私は、二人がお互いを尊重し、助け合いながら楽しい生活が遅れるようにサポートしていきます。

それが私の役割だと思っています。

仕事のありがたさ

高校の商業科を卒業して、地元の企業に就職しました。従業員800名前後の会社でした。

5県に渡り事業展開している企業です。一年目はみんな現場で修行。高卒の私はガソリンスタンドの勤務でした。海沿いのスタンドで潮風が冷たかった。

魚類市場のお客さんが多く、お魚を持って来てくれたりして良い環境でした。

スタンドなので給油から洗車。洗車機に入れるには運転しなければなりません。

免許をとって2週間くらいしかたってない私は怖くてのれませんでした。

それは先輩がうまくカバーしてくださって吹き上げのしごとを一生懸命しました。

仕事にも慣れてきて、お客さんの車も運転できるようになりました。

その時の訓練が今に生きています。今の会社の会長の車の運転もこなせています。

バックでの車庫入れなんか上手です。あの時の仕事に感謝です。

一年で現場の仕事から本社の事務仕事に転勤です。工業団地のなかにある5階建てのビル全部でした。

各事業所の事務を一括して集中処理するのです。殆どが女性で正直怖かったです。

3階の庶務課に決まりました。従業員の所属と顔と役職から覚える事が先決でした。

社会保険、給料の計算をするのですから大変な部署でした。先輩社員の方が結婚退職が決まっていましたので、4ヶ月しか私に残された時間はなかったのです。

退職の話を聞いたときはショックでした。女性は先輩と私だけだったのですから。

翌日からノートに一言一句逃さないようにメモしておぼえました。

名前・所属・役職も同時に頭にいれました。あのときには不思議な事に入っていきました。

最近ですが、「やった事に無駄な事は何一つ無い」って思います。

庶務課で社会保険の仕組みから手引書を片手に勉強した事が、今は仕事場がかわってもすぐ手続きができるのですから。

多少制度がかわっているのですが、基本が分かっているので何の事はないのです。

でも最初はこんな難し事を高卒じゃできないなんて弱気になったこともありました。

でも私がしないと誰もやってくれないという立場でしたから力になったのでしょう。

先輩にも今は感謝です。今の会社で何でも屋の社員としてがんばれています。感謝。


習い事

小さい頃から習い事をいろいろやってきました。

一番最初は、学校の友達が多くかよっていた書道教室。最初は墨で手や洋服や道具が墨だらけでした。

字がきれいなほうがいいのは分かっていたので休みたいときもたくさんありましたが、親に叱られるのでかんばって通いました。

進級試験もあり、8級からでした。お手本を見て書いているつもりが朱色の墨で先生から手直しを受けることが多かった。

それより辛かったのは、正坐でした。最初は確か10分も座れなかった。と、記憶しています。

しびれて自分の足の感覚がなくなり、モゾモゾして書く事に集中できなくなります。

先生の所に見ていただくのには、歩いていかなければならなくて。でも立てない。

よろけながら習字紙をにぎりしめて歩いたものでした。

学校で習字の時間が始まりました。教室の後ろに張り出されます。自分の作品を遠くから見ると

思っていた字と違うのに気がつきます。また練習する励みになりました。結局2段まですすみました。

ちょっと自慢です。

次の習い事は、そろばんです。いまでは計算機が主流なのでそろばんは使う人が少ないようです。

小学校の授業にもあったのでがんばりました。暗算は不得意でした。

そろばんをパチパチはじく時は、頭のなかでも自然に計算をしているんですよね。コレで少し頭の回転がよくなるようにと母親のすすめで通いました。

足し算引き算まではなんとかかんとかできましたが、小数点の計算やかけ算割り算が入ってくると難しくなり続かなくなりました。

次は、隣の家の子がピアノを習っていました。自分も音楽は好きだったので習いたくてしょうがなかったのです。

しかしその頃は家にピアノが無いと習えない状況でした。だって、ピアノがないと次のレッスンまで練習ができないですからね。

借家だったし、ピアノはその頃裕福な家庭のお嬢さんしか習っていなかったのです。

私がピアノを習いたいと懇願したのでした。すると母親が隣の大家さんに頼み込んで習える事になりました。その時は天にも昇る気持ちでした。うれしかった!

確か小学校3年生でした。楽譜も多少読めたので進みが早く、とても楽しかったです。

そんなある日、学校から帰って来たら狭い家にピアノが。父が私のために勝ってくれたのでした。

その日は、嬉しくて嬉しくて何度もありがとうを連呼した記憶があります。

確かその日は、お礼に父と寝たのです。うれしかった。

それから一年もしないうちに父の転勤が決まり引っ越す事になり、先生ともお別れしないといけなくなりました。音大を出たばかりの先生でパワフルで厳しかったです。

でも先生のおかげで基礎の部分がちゃんとできました。

今でもそのピアノは健在です。今でもピアノが来たあの感動は忘れられません。おとうさんありがとう。



健康診断の重要性

私は貧血なので、鉄分が多く含まれているものを意識して食べるようにしています。

職場の定期健康診断でわかりました。検査を終えて内科の先生からの説明を受けた時のことでした。

「検査の結果、貧血です」厳しい口調でいわれました。

「かかりつけの病院で診察を受けて治療してください」と。

「レバーとかひじきを食べますから」と言うと、「そんなレベルではありません」と、一喝されました。「必ず受診してください」「はい、わかりました」と病院を後にしました。

かかりつけ医に紹介状を持っていきました。自分が貧血なんて思いもしないので先生に根掘り葉掘り聞きました。

話の中で、子宮筋腫が原因の一つにあげられました。

女性ならではの原因でした。子宮筋腫の手術をすれば解決するのですが、もう二度と体にメスを入れた
くないので他の選択肢というとホルモン剤の治療です。

いくつかの選択肢から選んだのが鉄剤補給です。一番簡単で体にやさしいものでした。

診断を受ける前は、「疲れている」「やる気がでない」「根気がなく続かない」「集中力がない」

「口が乾く」 なにか変だと思いつつ年齢のせいだと勝手に思っていました。

気持ちはブルーになるばかり。そんなときインターネットで「貧血の症状」で検索すると、

だるさ・根気がない・氷をガリガリ食べるなどなど。ほとんど当てはまっていました。

自分が何もできなくなったのは貧血も一つの原因かもしれない。

今は真冬でもステンレスボトルに氷を入れて持ち歩いています。

中には、おせんべいをバリバリ食べるという方もいらっしゃるそうです。

治療を初めてから、掃除もすこしづつできるようになりました。

元気も出てきました。

自己診断で目の下をあっかんべーってするとほんのりピンクがかってきました。

少しづつ回復しています。鉄剤はもちろんですがビタミンcの摂取は欠かせません。

早く貧血を解消してスポーツしたい。コツコツひじきをたべます。ほうれん草のおひたしもたべます。

健康に感謝。








カメラと写真

私の父は写真が大好き。 若い頃には夢中だったらしいです。

独身のときは、給料から切り詰めて貯金をして、あこがれのカメラを買ったそうです。

今ではあまり見ない二眼レフカメラです。

レンズが縦に二つあり、上から覗き込むタイプです。

今見てもとても素敵なデザインです。このフォルムに胸がキュンとしたのも分かる気がします。

その頃は、モノクロームが主流で、家に暗室まで作り現像の機械を買い、現像までやっていたというから、相当没頭したのでしょう。

その頃父が現像した写真がいまも残っているアルバムがあります。

優しい父の思いが見てとれます。花の写真が一番多いですね。

次は子供の写真。何気ない仕草など生き生きと写っています。

おかげさまで私の成長過程がよくわかります。

次に多いのが、自然を中心とした写真です。

畑や田んぼ。そこに集まる虫や鳥の様子など。ズームレンズやマクロレンズを駆使した写真です。

父は、地域の公民館主催の写真クラブに入っています。

年に一度の文化祭にはお気に入りの作品を出展します。

私は母親を連れて見に行きました。

展示室に入るとたくさんの方が集まっていました。

入り口から順番に見て行くと、女性2人が父の写真の前で「構図がすばらしい」「良い写真」。

私も母親も嬉しくなりました。  しばらく父の写真の前で止まっていました。

帰宅後父に報告したら、喜んで目を細めていました。

今でもその写真は額に入れて父の部屋に飾ってあります。


やはり親子ですね。小さい頃からカメラと写真に触れてきた私も写真が大好きです。

持ち歩くのに便利なコンパクトデジタルカメラはいつもバッグに入っています。

父が使わなくなった一眼レフのカメラをただいま勉強中です。

3年くらい前に、私のために書店を何軒かまわって一眼レフの解説書を買ってくれました。

その解説本は私の宝物です。

私を癒してくれるもの

私のストレスを解消してくれるものは、ハーブティーとヒーリングミュージックです。

少し前までは、食べる事に走ってしまいがちでしたが、そんな自分を見つめ直したらバカバカしくなり、きっぱりやめました。

しかし、ストレスを感じますよね。私が探しつけたのがハーブティーとヒーリングミュージックです。

若い時は、「歌詞の内ない音楽なんてつまらない」とか言って関心が全くなかったのですが、テレビ番組やCMで使われている二胡の音楽でした。

二胡は、ヴァイオリンの原型だと言われています。

弦は二本。音が共鳴するところは蛇皮が張られています。

馬のしっぽの毛を使った弓に松脂(まつやに)を塗り演奏します。

ヴァイオリンとよく似ています。弓を使う弦楽器は松脂をつけないと音がしないんですね。

音色に魅せられて楽器も購入し、カルチャースクールで楽しくレッスンを受けています。

12名のグループレッスンで、とても楽しい時間です。

先生の活動拠点は東京で、月に一度地元に帰省してレッスンをしてくれています。

月一回の貴重なレッスンなので予定を調整し休まないようにしています。

今では欠かせないものになっています。

まだ、始めたばかりなので、CDのような音が出ません。当たり前ですが。

先生の模範演奏はすばらしい音色です。さすがです。

レッスンもピアノ伴奏を入れてくださったりしてとても楽しいのです。

クリスマスの前になると賛美歌やクリスマスソングなどを取り入れてくださったりしくれます。

ボランティア活動で二胡の演奏をされている生徒さんもいらっしゃいます。

どこのボランティア活動でも二胡の演奏は喜ばれるそうです。

私もお話を聞いてボランティア活動に参加させてもらうことになり、猛練習しました。

皆さんがきいてくれて、「気持ちがおちついた」と、言ってくださったので嬉しかったです。

練習の励みにもなります。微妙な音のビブラートに心が奪われるのです。私の感じるところですが。

二胡のCDを聞きながら、証明を落とし、カモミールのハーブティーを飲んでいる時が至福の時間です。

頭の中がすっからかんになり、ストレスを解消できます。

今の私には欠かせないものになりました。
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